花冷えの夜、ある別れがあった。いつかどこかでまた会えるかも知れない、という不確定性を僕たちはきっと「未来」と呼ぶのだ…

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先達て実家の母から貰った「ピントグラス」というリーディンググラスだけれども、僕にはとても良好な使い心地なのでもうひとつ買うことにした。未開封新品で安く出ていたものをネットで見つけたのだ。

それがトップの写真のメガネだ。こんどはウェリントン型というべきか、やや丸っこい形なのである。実際にかけてみると、こちらも意外と似合うのであった。
四角いフレームは何処となく賢く見えるようだけれども、この丸っこいフレームだと幾分可愛らしい顔になるw そこで、四角い方は塾の仕事で、丸っこい方は週一の都内の仕事で使うことにした。それぞれのバッグに入れっぱなしにしておけば忘れないだろう。

それにしても、この「ピントグラス」の累進多焦点レンズは実によく出来ている。
手元が極めてクリアに見えるのだ。かけたままで遠くを見てもクラクラしないので、そのままかけっぱなしでも歩き回ることが出来る。そんな訳で、このメガネは長く愛用していこうと思うのだ…。


先日、塾の仕事の春期講習が終わった。最後に教室を念入りに清掃したあと、夜遅く本部オフィスへとようやく戻ることが出来た。
すると奥の方で、Kさんという、3年ほど前に担当していた女子生徒が僕のことを待っていた。ハーフっぽいエキゾチックな顔立ちで、中学生当時はいつも教室の最前列の右隅に座っていたのを覚えている。今は高校2年生として在籍中だ。

大きな白いマスクをかけている。そのうつむき加減の顔を見ると、前髪に隠れた両のまなこが涙に濡れていた。そっと、「お久し振りだね。あれ?泣いているの?どうしたの?」と僕が訊くと、Kさんは何か意を決したかのように言った。
「きょうでこの塾を辞めることになりました。わたし、先生の英語の授業が大好きだったんです。先生のお陰で英語を好きになりました」

突然の告白に少し気おされ、もらい泣きしそうになった僕は、咄嗟に何か笑いを取らなければと考えた。
「どうも有難う!とっても嬉しいよ!いやあ、そんな風に言われたのはきっと、生まれて初めてだなあ…ははは」実は、僕の授業を気に入ってくれる生徒は一定数いるものである。でも、泣いて言われたのは今回が本当に初めてだ。

Kさんは、僕のその言葉を聞いて泣きながら笑っていた。まだ17歳の可憐なあどけなさが、涙の雫となってそのまま溢(こぼ)れ落ちているようだった。

幼い頃からヴァイオリンをずっと習ってきたというので、授業の休み時間などにはクラシック音楽の話をしたこともあった。僕は、そんなことを思い出していた。
「そういえば、ハイフェッツの話をしたこともあったよね?」と言うと、手の甲で目を押さえながら頷いていた。歴史に残る名ヴァイオリニスト、ヤッシャ・ハイフェッツのヴァイオリンを手にしたことがある、と話してくれたことがあったのだ。

「この塾を辞めても、大学受験がんばってね。ほら僕も、英検1級一発合格を目指している受験生みたいなもんで。僕も頑張るからさあ」そう言うと、Kさんはやっと泣き止んで、ぺこりとお辞儀をした。
「今まで本当にどうも有難うございました」ちょっと晴れやかになった笑顔があった。

思えば、僕は大学受験のときに指導してくださった先生によって英語大好き人間に変えられたのである。それで今の僕があるという訳だ。僕もまた同様に、Kさんのような英語好きを生み出すことが出来たのだとしたら望外ともいえる喜びだと感じた。

何か事情があってこの塾を辞めることになっても、必ず英語の勉強は続けて欲しい、いや彼女ならば続けるだろう。
現在の志望校は確か国立の外国語大学だ。将来どんな仕事をするのだろうか。そしてKさんと再会するとき、そこは日本ではない何処か別の場所なのかも知れない。いつなのかもまだ分からない。

未来はこんな風に、きっと何もかも不確定だからこそワクワク出来る。むしろ、僕たちはこの不確定性こそ「未来」と呼んでいるのだ。手を振って見送りながら、僕は消えゆくKさんの後ろ姿にそう呟いた。花冷えが幾分ひんやりと感じられる、そんな夜更け前だった…。


(では、ハイフェッツの名演奏のひとつをどうぞお楽しみ下さい…)

……
一般的に多くの仕事とは、人員の代替が効くものなのだろうと思います。つまり、この仕事は自分だけにしか出来ないと思っていたとしても、案外と他の人でも十分に務まるものなのでしょう。一方で、そのような人員の代替が効かない仕事、つまり本当に自分自身でなければ務まらないような、そんな唯一無二の仕事を見つけたとき、この地上における自己の価値というものが本質的な意味においてひとつ確立されたといえるのかも知れません。上述のKさんにとって、僕がそんな代替不能の存在であったとしたのならば、これにまさる僕の喜びはないだろうと思います…。

さて、下にリンクを貼った本は、衝撃的な(?)タイトルとは裏腹に、ごく真っ当、真面目に書かれた興味深い一冊です。『ダ・ヴィンチ・コード』など有名な作品を多く訳した文芸翻訳家の方が、我々日本人が和訳の際に間違えやすいポイントなどを具体的に解説されています。例えば、sigh(ため息、ため息をつく)という単語は、ひとつの長編小説の中で20〜30回出てくることも珍しくなく、その都度「深く息をつく」「ほっとする」「吐息を漏らす」など場面に応じて10種類くらいに訳し分けるのだそうです(P.136)。
僕も、このブログで時折、英語の歌詞や動画のナレーションを和訳していますが、同じ単語が繰り返し登場した場合、文の内容に応じてその単語の日本語訳を変えてしまっても良いものなのかどうか少々考え込んでしまうことがありました。プロ翻訳家の方が、そのようになさっているのですから、僕も心置きなく自由な表現を充てていけば良いのだ、と決意を新たに出来ましたね。このように、本書は様々な日本語訳の作業に取り組んでおられる方たちにとって大いに参考となるだけでなく、中〜上級の英語学習者にとっても広く学びとなる一冊でしょう。

越前敏弥 著『「英語が読める」の9割は誤読 ~翻訳家が教える英文法と語彙の罠』
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