世界中のニュースを見て読んで、本当にいなくなってしまったの⁉︎って、それでもまだ実感として受け止め切れていないのだけれども…

動画

トップの写真は、3日ほど前の夜に撮撮った月。この日は十三夜であったと思う。英語では、waxing gibbous moonといったところだろうか。

少し前に読んだ本に、「月が綺麗だと思えているなら大丈夫」と書いてあったのを思い出す。これは「わたしは大丈夫かな」という問いに対する答えである。こうして見ると、月はまだまだ綺麗だ。きっと、僕は大丈夫なのかも…。


さて、国内外の様々なメディアで既報の通り、キョージュ(教授)こと坂本龍一氏が世を去ったことが伝えられた。御歳71での逝去である。衷心から哀悼の意を捧げたい。

キョージュは、このブログで幾度も取り上げている通り、僕にとって実に音楽的な意味におけるヒーローであった。いや、それどころか中高生の頃には、ほぼ神格化していたこともあった。
作曲や編曲をこなし、ピアノもシンセサイザーも縦横無尽に弾く。コンピューターを操って演奏データーを自ら作成し、音楽プロデューサーとしての顔も持つ。NHK-FMなどのラジオでは楽しいお喋りも聞かせてくれた。そんな訳で、とにかく格好いい。

僕も、そのようなキョージュの姿にあやかろうと思って、コンピューターミュージックを志し、実際にゲーム音楽作りの仕事に携わることが出来たのである。きっと、坂本龍一ご本人がいなければ、僕のそんな人生の側面も発生し得なかっただろう。
キョージュは、文字通りの巨人だった。20〜30代の頃から、世界を股にかけ多方面かつ八面六臂の活躍をされていたのだけれども、現代の若きミュージシャンの中で同等の活動をされていらっしゃる方がいるのかどうか、僕は寡聞にして知らない。

きっと、日本国が国際社会の中でプレゼンスを伸ばしていくのと歩を合わせるようにして、キョージュは世界へと羽ばたいて行ったのだった。下の動画は、台湾の英語ニュースチャンネルで、キョージュの訃報を分かりやすい英語で伝えてくれている。

キョージュの音楽的キャリアを過不足なく良く伝えている良いニュースなのでは、と思う。しかも、ご自身がインタビューに英語で答えている映像も付け加えられている。あんな風に金髪に染めていた時期もあったんだなあ…。

ネット上のニュースサイトでも、New York TimesやBBC、China Dailyなどなどが英文で記事を載せていた。就中、New York Timesに関しては是非とも紙面で読んでみたいと思い、その国際版をJapan Timesと共に駅で購入した。

上のように、1ページの3分の2くらいのスペースを割き、キョージュの経歴がほぼ余すところなく詳細に伝えられていた。最後に婚姻歴について数行で述べられていたのだけれども、学生結婚したときの奥さんのファーストネームまで書いてあったのは少々驚いた。

ちなみに、僕は英字新聞を多分150〜160wps(wpsは1分あたりの単語数)ほどの速度で読んでいる(これは、英検1級などのリスニング音声と同じくらいの速さだろうと思う)。よって、上の記事は20分弱ほどで読み終えた(辞書を引いたのは3回)。

Japan Timesでは、まず1面の真ん中に大きなカラー写真と共に記事が載せられていた。その写真と同じくらいのスペースを割いて、キョージュの音楽的な功績についての概要が書かれていたのである。それから中面に誘導するようになっていた。

続いて、中面では別のモノクロ写真と一緒に、社会活動や環境問題などに関するアクティビストとしての一面が詳しく述べられていた。内容的には、New York Timesと被るところが多かったのだけれども、これは致し方ないことだろうと思う。
Japan Timesの記事は両面合わせて、New York Timesよりやや少ないくらいの分量だろうか。僕はこれを15分強くらいで読んだ(辞書を引いたのは1回)。語彙レベルとしては、やはりNew York Timesよりは遥かに簡単だったと感じる。

このようにして、国内外の国際ニュースで坂本龍一氏の逝去に関して見聞きするにつれ、その偉大さを感ぜずにはいられない。しかしながら、僕は未だキョージュが本当にこの世を去ったことを実感できずにいるようなのである。
これは我ながら実に不思議なことだ。ティーンエイジの頃から、ずっとこんなにもファンなのに、どうしたことなのだろう?と思う。きっとまだ、僕は心の何処かで信じられず、受け止め切れていないのだろう。多分そうなのだ…。

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キョージュのソロ・オリジナルアルバムとしては最後の作品となった「12」。まだ、このブログではご紹介していなかったかも知れません。いけませんね 苦笑。これは、病気療養中だったキョージュが小康状態にあったであろう時期に、日記のようにして日々綴っていった音楽を12曲分、一枚のCDに収めたものなのだそうです。
音楽的には、前作「async」の路線を受け継いでいると言えると思います。しかし、前作よりは実験的な要素が薄く、その分だけ聴きやすい(一聴して馴染みやすい)曲が多いのでは。どちらも傑作のアルバムであることは論を待ちませんが、「12」の最終トラックで聴くことの出来るSEのような回転する金属音が、今にして思えば実に意味深長です。キョージュは、この音で本当は何を表現しようとしたのか、それはきっともう誰にも分からないのでしょう…。

坂本龍一 『12』(CD)
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