「私ではなくて、風が…」これは時としてよく使える言葉だと思うのだ…

自動車・自転車

トップの写真は、先週のある日の夕刻に撮ったもの。ニコン P900で撮影し、内蔵のクロスフィルターを掛けた。夕陽に映えたところが煌めいている。ANAのボーイング737だろうと思う。


さて、ブリヂストンとヤマハの電動アシスト自転車でリコールというニュースがあった。駐輪時のハンドルロックが走行中にも掛かってしまうことがあるのだと言う。


(出典:産経ニュース

僕は、2015年の春頃からだっただろうか、ヤマハの電動アシスト自転車を使い始めた。今でも毎日のように愛用して乗っている。このブロブにも、パンク修理やらで何度か登場したことがあるのでは。
今回のリコールは、ヤマハの場合、2004年10月~2015年1月に製造された製品が対象と発表されている。うーん、これは何ともギリギリ、微妙な線であるw あとで製造番号などを車体で確認してみようと思った。

そういえば以前、僕のホンダ車でもリコールとなったことがあった。例のエアバック騒動だった頃である。
それで、ディーラーまで行っている暇がなかったので暫く放置していたら、リコール部分を直さないと車検に通りませんということになってしまった。それで結局、仕方なく行ったのだった。

今回の電動アシスト自転車の件でも、わざわざ自転車屋まで行かなくてはならないだろう、と思う。そんな時間の工面が大変なのである。困ったことだ…。
折角だから、知り合いの自転車屋さんでやってもらおうか。まだお店には行ったことがなかったので、良い機会である。そんな理由をつけなければ、なかなかメーカの不始末には付き合って居られないのだw

そうそう。もし、ブリヂストンかヤマハの電動アシスト自転車をお使いの方がいらっしゃったら、該当するかどうか是非ともご確認の程を…。それに関する経済産業省のページは、こちらである。

さて、日中の明るい頃に、当該ラベル部分の写真を撮って確かめてみた。見るべき箇所はふたつ。ハンドルロックの表示窓に貼ってあるステッカーの色と、別のステッカーに印刷されている型式と号機番号(シリアル番号のようなもの)である。
僕の自転車に貼ってある前者のステッカーは、下のように、黒い地のものであった。これは、黒と白の2種類があるようだ。ヤマハのリコール関連情報のサイトを見ると、黒はリコール対象製品だと書いてある。

一方で、型式とシリアル番号を確認してみたところ、僕の「PA27CS5」という型式の自転車は、目下のところ対象に含まれていないことが分かったのだ。それに関する一覧表(PDFファイル)は、こちらで見ることが出来る。

これは、どう考えたら良いのか?まあ取り敢えず、リコール対象ではないと解釈しておこうか…。でも、黒地のステッカーが気になる。ひょっとすると、今後、追加リコールが出た場合に含まれて来るかも知れないので、この件に関しては注視していようと思う…。


さてさて、ちょっと変わった(?)ニュースを見かけた。僕も好きな、XのYOSHIKIのスカーフが風に煽られて、何と英国女王陛下の肩に掛かってしまったというアクシデントだ。


(出典:スポーツ報知

別のニュース記事に貼ってあった動画を見ると、YOSHIKIの黒いスカーフがふわりと舞うようにして、女王さまの右肩に乗ったのが分かる。それから、驚いたように口を開け、手早くスカーフを手繰り寄せたYOSHIKIの姿も見て取れた。
いつもは沈着冷静なキャラクターのYOSHIKIも、これにはさぞや慌てただろうと思う。失礼なことになってしまったと感じた筈である。SNSでのYOSHIKIのエントリでは、あとで女王さまにお話をして、とても優しく接して貰えたということを書いている。

ここで、僕はある詩の一節を思い出した。英国の文豪D.H.ロレンスの言葉である。これは、後にロレンスの伝記のタイトルにもなっている。「私ではなくて、風が…(Not I, But the wind….)」というものだ。

『私ではなくて風が…―D.H.ロレンス伝』

些か不謹慎ながら、この場面によく合っている言葉だろう、と思った。「あっ、女王陛下。これは私でなくて、風がっ…」と言いつつスカーフを巻き取る、という感じである。陛下はきっと、お分かりになるであろうと思う。

僕は、この詩を大学のときゼミで読んだのを思い出す。担当の先生が、ロレンスの研究者で、実に豪放磊落な人だった。ご自身は確か一滴も呑めないのに、学生には「授業中に何を飲んでも食べても良いぞ。ビールでも構わない」と言うのである。
それで、本当にエビスビールを持ってきた人がいたのだ。彼は勿論、プシュッと開けて飲んでいたw そこで先生は言う。「おう、エビスはやっぱり美味いか?(笑)」何とも良い思い出だ。

嗚呼、少し話が逸れてしまったけれども、ロレンスの英詩である。その最初の2行だけ、下にちょっと私訳してみたいと思う。(テキストの出典:Kalliope

Song of a Man Who Has Come Through

Not I, not I, but the wind that blows through me!
A fine wind is blowing the new direction of Time. …

「切り抜けた男の歌」

私ではない、私ではない、私の中を吹き抜ける風が!
繊細な風が、時の新しい方向に吹いている。…(私訳)

僕は、この詩を読んで以来、風で何か(例えば、机の上の紙など)が飛ばされるたびに、この箇所が頭に浮かぶようになってしまった。そのくらいに印象的だったのである。今回の一件で、またまた思い出してしまったというわけなのだ…。

……

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