昨夜も月を撮った。テオドール・クルレンツィスの『レクイエム』と、あるブロガーの逝去と…

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前回に続いて、昨夜も月を撮影した。暗くなってから、図書館へ本を取りに出掛けたのだ。ニコン P900も持参した。

何処か撮影に良い場所があれば、三脚を広げて撮ってみようと考えたのだ。すると、建物の脇に丁度、月が見える場所があった。ポールの間から覗くようにして観察できる。
構図としても面白いと思い、そこで10分ほど立ち止まって撮った。それが、トップの写真である。これは、トワイライト撮影モードを使ったもの。やはり、色の出具合が、僕のお気に入りだw

そのまま、少しズームして撮ったのが、下の写真。前回の月齢1.5のときとは異なって、地球照が上手く写っている。1日違うだけでも、これだけ写真に差が出るものなのだなあ…。

影とのきわの部分に、クレーターの輪郭が観察できる。更にズームすると、それがもっとよく見て取れた。何か悪いものを覗き見してしまったような、不吉な感触を、このクレーターの影に感じてしまうのは、僕だけだろうか…?


さて、テオドール・クルレンツィスである。先達ての投稿で、僕は、この指揮者の手によるチャイコフスキーの『交響曲第6番 悲愴』を絶賛した。いや、もの凄い演奏なのである。
少し前に、大学時代の友人Oさんに手紙をしたためた際にも、クルレンツィスのこの『悲愴』について書いた。Oさんは僕以上のクラシックファンなのである。すると、果たせるかな、非常に好意的な反応が返事の手紙の中に書かれていたのだ。嬉しいことである。

Oさんには、手紙の中で、このブログの紹介もした。早速、訪問して読んでくれたようである。どうも有難うございます、Oさん。これからも、この「白ねこのため息」をよろしく…。また、手紙を書きますね。

さてさて、テオドール・クルレンツィスだ。上の写真は、「レコード芸術」誌の先月号。第55回レコード・アカデミー賞の記事である。『悲愴』が大賞に選ばれたのだ。
いやあ、クルレンツィスのこの表情、というか面構えはどうであろう。才気に満ち溢れている。あらゆるものの、背後まで見抜かんとするような鋭い眼光。譜読みの天才と言われる所以であろう、と思う。

『悲愴』CDのライナーノーツを読むと、クルレンツィスが、音楽だけでなく、哲学や文学に通暁していることがよく解る。きっと、天才的な譜読みは音楽的にのみ行われているのではない。哲学的にも、文学的にも読んでいるのだろう。
そんなことを感じさせる動画があった。僕は、YouTubeで、テオドール・クルレンツィス指揮による、何か別の楽曲が見られないものか、と探していた。すると、このような動画が見つかったのである。(追記:のちに削除されてしまったようです)

モーツァルトの『レクイエム K626』。演奏は勿論、クルレンツィスの楽団である、ムジカエテルナ。2017年のザルツブルク音楽祭における模様だ。日本でも、NHK-BSで放送されたそうである。
上の動画の最初の5分くらいはインタビュー(英語やドイツ語)なので、演奏開始から見られるよう、リンクを設定した。はじめの3曲だけでもいいので是非ともご覧になって欲しい。

『悲愴』同様、これまでに全く聴いたことのない別次元の演奏である。特に、3曲目の「ディエス・イレ」などは、まるで地の底から死者が蘇ってきてくるかのようだ。器楽も合唱も、いずれも激しい。
僕はつい、新約聖書マタイ福音書の27章「墓ひらけて、眠りたる聖徒の屍體おほく活きかへり…」(文語譯)を想起してしまうのである。ひょっとして、クルレンツィスも、これを意識したのだろうか?

動画の中から、クルレンツィスの姿をスクリーンショットで撮ってみた。動きが非常にはやいので、タイミングを逃さずブレないように捉えるのが大変だったw
彼の手や体の動きもまた、激しいのだ。何処かで読んだ情報によると、これでも結構控え目だったらしい。ザルツブルク音楽祭という伝統的で保守的な場だったので自重したようなのだ。

動画をよく見て頂けると分かるけれども、バイオリニストたちが皆、立って弾いている。ムジカエテルナでは、これが通常のスタイルである。奏者たちも、体を自由に揺らし、髪を振り乱して弾いているのだ。

このような、テオドール・クルレンツィス、ムジカエテルナによる、モーツァルトの『レクイエム K626』。まだまだ語りたいことがあるのだけれども、またの機会に譲りたいと思う…。


さて、僕が兼ねてから日々訪問していたブログ、「ピンちゃんの赤貧日記」のブログ主である、ピンちゃんが2月10日に逝去されたとの知らせが、先達てお兄さんの手によって投稿された。
このブログでも以前書いたように、ピンちゃんはガンの治療中であった。最近は自宅療養していたのだけれども、先月再入院されたのである。そのまま容体が悪くなっていってしまったようだ。

「ピンちゃんの赤貧日記」には、再入院直後から、多くの励ましのコメントが寄せられた。今は、それを超える数の悲しみの声が次々と載せられている。この場を借りて、僕も心よりお悔やみ申し上げると共に、ピンちゃんのご冥福を祈りたいと思う…。

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