また岡田斗司夫氏の解説動画を観た。今度は『ブレードランナー』。それから、雨降りに聴いたショパンのノクターンに想う…

うさぎ

トップの写真は、本日のうさぎ。ここ暫く、毎日雨降りで外遊びが出来ない。代わりに、娘の部屋で少し遊ばせることにした。娘は、試験期間中のせいか、帰宅が早いのである。

この部屋の中には、形が様々のクッションが置いてある。その中に、真ん中が穴あきの座布団のようなものがある。この穴の部分が、丁度うさぎのサイズなのである。
試しに当てがってみたところ、顔が入りそうだ。これ、もしかするとサイズがぴったり?と娘に言うと、既に同じことをやってみたことがあると言う。先を越されたw

クッションが柔らかいので、そのままするすると顔が通るのだ。首のところまで入りそう…。すると、やはり首まで入ったのである。

何となく可愛らしくも見えるけれども、だんだん嫌がってきたようなので、早々にクッションを外した…。なんか、大きくて変な首輪みたいなものを付けられたなー、と思っているのかも知れない。


先達ての投稿で、岡田斗司夫氏による映画の解説動画をご紹介した。あれから、Amazon プライムビデオには、岡田氏の動画のラインアップが少し増えたようである。(でも、以前のような0円設定はもう無いようだ)


(出典:「Amazon Prime Video」)

2本ある『ルパン三世 カリオストロの城』の解説動画が、特に面白そう。この映画作品のオープニング部分が如何に凝っているのか、ということを、僕は以前、岡田氏の本で少しだけ読んだことがある。きっと、動画では更に濃い解説が展開されているのだろう。

さて、先日は、このAmazon プライムビデオではなくて、YouTubeの方で、岡田斗司夫氏による映画の解説動画を視聴した。取り上げていた作品は、『ブレードランナー』である。
『ブレードランナー』については、このブログでも、以前ほんの少しだけ触れたことがある。映画は、DVDよりもBlu-rayで観た方が良い、という話だ。本当にこの映画こそは、Blu-rayで観るべきだと思う。画も音も、全くクオリティが違うのだ。まるで別世界のようなのである。

さてさて、岡田氏の動画。この回は、前半と後半を分けることなく、全編一本のままアップしてあるので、やや長丁場である。ざっと2時間w 映画本編よりも長いかも…。でも、非常に充実した2時間だ。

興味深いお話が次々と出て来るけれども、僕が特に感心したのは、工業デザイナー、シド・ミードが果たした働きについてである。映画の企画中に監督のリドリー・スコットが、シド・ミードに車のデザインを依頼した。主人公のデッカードが乗る、空飛ぶ車である。
すると、シド・ミードは、車のみならず、その周辺の物品や風景まで緻密にデザインして送って来たというのだ。つまり、その車が使われる世界観まで含めて全て描いたということなのである。

特に、そこでリドリー・スコットが感心したのは、アスファルトの地面に水溜りが描いてあるということだった。これに、車のライトや街のネオンサインが反射して映っている。
すると、その水溜りが幾つかあるだけで、映像的な情報量が格段に増え、一気に凝った画になるというわけである。以降、リドリー・スコットの作品に限らず、こういった作風の映画では地面の水溜りが多くなったのだそうだ。

これに限らず、エポックメイキングな点の多いことが、『ブレードランナー』という映画作品の特徴なのだろう。僕は、ヴァンゲリスのサウンドも、この作品に寄与するところが大だと思うのだけれども、音楽の話が全く出て来なかったのは、やや残念…。
でも、原作者のフィリップ・K・ディックから映画化権のオプションを買った人物の話から始まって、そこからリドリー・スコットにやがて繋がり、ハリソン・フォードが登場して行く流れなどは、実に興味深い。これ、ファンは必見の解説動画です。

そんなこんなで翌朝。僕は、早朝の仕事からの帰途にあった。生憎の雨降りなので、車で通勤だったのである。帰り道には、いつもFMラジオをかけている。クラシック音楽の番組を聴くためだ。

アスファルトの地面には、水溜りが多かった。信号待ちで車を停めると僕は、それらのひとつにじっと目を凝らす。『ブレードランナー』のことを思い出していた。前方の小さな水面(みなも)には、曇天やそばの車が部分的に映り込んでいたのである。
ラジオは、ショパンのノクターン(夜想曲)を何曲か流していた。演奏は、ファジル・サイ。即興演奏も得意な、個性派のピアニストである。こんな雨降りの朝に、ショパンは良く似合うなあ…そう思って聴く。

すると、いつの間にか、旋律はノクターン第2番(作品9の2)に移り変わっていた。ファジル・サイの太くも丸みを帯びた音色の自在な演奏が、水溜りの点在する灰色の風景に良く調和していた。この曲を聴くと、僕は子供の頃のある出来事を思い出す…。

それは、オルゴールが中に入った置き時計だった。目覚ましのベルの代わりに、機械式のオルゴールが、ショパンのノクターン第2番を鳴らす時計。父方の祖父母の家に置いてあった。
僕は、小学生の頃、長い休みの度に、祖父母の家へよく遊びに出掛けていたものだった。弟と電車に乗って行くのである。ある年の春休み、その家の床の間の隅に、アンティークなデザインをした茶色い時計が置いてあるのを見つけた。上には、金色の取っ手が付いている。

機械好きだった僕は、早速手に取り、色々といじってみた。裏には、ゼンマイを巻くためのネジが付いている。それをそっと回し、隣にある小さなスイッチを倒す。オルゴールを試奏させるためのものだった。
そこから流れて来た旋律が、ショパンのノクターン第2番だったのである。ノスタルジックで金属的な高音でもって緩やかに、それは演奏されていた。僕は、その当時、この曲名も作曲者も知らなかった。でも、とても気に入ってじっと聴き入ったのである。

すると、背後から、祖父が声をかけて来た。「欲しければ、やるぞ。帰るときに、持って行け…」僕がこの時計について聞くと、何処かからの貰い物だと言う。よく見ると、側面に金文字で「贈」や「記念」などの語句が見て取れた。
数日間、祖父母の家で遊んで過ごしたあと、いよいよ帰る段になった。次回ここに来るのは、夏休みである。もちろん忘れずに、あの置き時計を手に下げて持って帰ったのだ。

帰宅すると、母が「それは何?」と訊いた。置き時計のことである。僕が、お祖父ちゃんから貰った、と言うと、母は「いけません。今度行ったときに返してきなさい」と珍しく強い口調で言った。
どうやら、その当時の母は、父方の祖父母の家の物が自分の家の中にあるのを、過度に嫌っているらしかった。なんとなしに、僕はそう感じたのである。迂闊だった。これならば、母に見つからないように持ち帰るべきだったのか…。

結局、夏休みには、またその時計を手に下げて電車に乗った。母には逆らえなかった。父に頼めば話が変わったのかも知れないけれども、そんな知恵はまだ無かったのである。
祖父は、やや残念そうに、「そうか…」とだけ言って置き時計を受け取った。また、床の間の隅に置く。「何だ、お母ちゃんが駄目って言ったのか?」振り返ることなく、そう付け加えていた。僕は、何も答えなかった。

それから幾星霜が過ぎ、祖母が先に世を去り、祖父も数年の後に亡くなった。祖父母の住んでいた家は主がいなくなり、処分することになったのである。
遺品の整理などの片付けは、僕の父が殆どひとりで行った。この家の唯一の男子なので、義務を感じてのことだったようである。仕事が休みの度に、何度も車で通っては作業をしたという。

そんなあるとき、父から「何か貰っておきたい物はあるか?持って来ておくぞ」と連絡があった。謂わば、形見分けである。僕は、小学生の頃に祖父が作ってくれたソリや、祖父愛用の短波ラジオ、そしてあの置き時計を挙げた。
しかし、それらのいずれも、見つからなかった、と後で父は言った。ソリは、僕たちが大きくなってから、近所の子供たちに上げてしまったのだろう、と父は説明した。それから、短波ラジオの代わりに、小型のラジカセを受け取った。

置き時計は、とうとう行方知れずだった。例えば、ゼンマイが切れて捨ててしまったのだろうか、とも思えるけれども、直せるものは何でもトコトン直す祖父である。やはり既に、別の誰かに上げてしまったということなのだろうか。

小学生の頃の、あの日以来、祖父の家に行くと、いつも床の間の隅に、まるで捨てられた軒下の子犬のように、ぽつねんと置かれていた、オルゴールの時計。僕は、ショパンのノクターン第2番(作品9の2)を耳にする度に、茶色くて、上に金色の取っ手が付いた姿を、今でもふと思い出してしまうのである…。


(追記:ファジル・サイ演奏の動画を見つけたので、上に貼っておきたいと思います…)

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ファジル・サイ『ショパン:ノクターン集』
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